10月福島県での活動報告③【特集】原発事故被災地現地学習会 2019 ~福島第一原発から10キロ圏内を巡る~

日時 : 2019年10月27日(日)08:00~16:00

主催 : 浄土真宗本願寺派北海道教区 重点プロジェクト実行部会

協力 :  南相馬市小高区塚原のみなさま、 NPO法人つながっぺ南相馬

コーディネート :  踏青楽舎、 NPO法人みみをすますプロジェクト

参加者:重点プロジェクト実行部会メンバー6名、みみすまスタッフ2名、一般参加2名 計10名

< 見学コース >郡山駅前出発 → 高速道路でいわき方面へ → 広野 JCから 国道6号線に降りて楢葉町へ →楢葉町  Jビレッジ → 汚染土保管場所(仮置場)→ 富岡町「夜ノ森」桜並木 → スクリーニング場 → 大熊町 役場新庁舎 → バリケード地帯 → 国道6号線を北上して福島第一原発を正面に眺めつつ「クレーン保管場所」→ 双葉町 → 浪江町 → 南相馬市小高区塚原公会堂

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台風19号が福島県内にも大きな被害をもたらしてから二週間後の10月27日(日)、浄土真宗本願寺派北海道教区重点プロジェクト実行部会主催の「原発事故被災地現地学習会2019」が開かれました。2012年から毎年実施されてきた現地学習会は今年で8回目を数えました。

◆楢葉町まで:

郡山駅前を出発。いわき市方向に向かう高速道路に入ると、自衛隊の災害派遣のジープやトラックが連なっていました。私たちが現地入りする前日の25日夜、福島県には再び大雨が降り、特に浜通りのいわき市や相馬市、新地町などでは記録的な降水量となって避難警報が出されました。自衛隊の車輌はここが台風と大雨の被災地であることを実感させます。

常磐自動車道から国道6号線に入り大熊町の「中間貯蔵施設」へと向かう道は、土日を除く週5日、汚染土を運ぶ2,500台ものトラックが走っているため常に渋滞しています。大熊町の中間貯蔵施設で2019年度に受入れる汚染土は400万㎥を予定しています。1日当たりの総量は県内各所から運び込まれてくる量も合わせて12,800㎥となります。

◆楢葉町:

常磐自動車道から国道6号線に入って最初はJビレッジに寄りました。Jビレッジは1997年、東京電力が地元貢献策として130億円をかけて建設、寄贈した日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターです。福島第一原子力発電所事故に伴い、事故直後からは国が管理する原発事故の対応拠点となっていましたが、2018年7月より部分的に再開し、同年9月には新しい全天候型練習場の利用が始まりました。来年のオリンピックで聖火リレーのスタート地となることが決まり「復興の象徴」と位置付けられています。日曜日のこの日は少年サッカーチームの大会があるのでしょうか、県内各地から来たマイクロバスが次々と子どもたちを降ろして行きます。7面ある天然芝のピッチでは小学生、中学生、高校生の子どもたちがそれぞれにボールを追いかけていました。

しかしこのJビレッジの次に向かった汚染土の保管場所(仮置場)はまったく真逆の世界でした。先ほどのJビレッジから僅か5分、2.7Kmの距離に大きな仮置場が存在し、広い敷地に汚染土の入ったフレコンバックが黒々と積み重ねられている風景には唖然とさせられました。画像では見慣れているはずの「汚染土の入ったフレコンバック」ですが、実際に見るとその大きさと重量感に圧倒されてしまいます。「処理」はいつ終わるのか、終わる日が来るのか、少なくとも次の世代にまで続く大変な課題を残してしまったということを強く感じずにいられません。そしてこんな仮置場の近くで多くの子どもたちがサッカーなどの野外スポーツをしていることやもう安全だと信じ込まされている事実に強い憤りを感じました。

◆富岡町:

次は富岡町へと北上します。福島市に避難していた人たちが創った「富岡町さくらサロン」で度々お話を聞かせていただいたSさんご夫妻は富岡町のご自宅に帰還されました。今回は残念ながら県外にお出かけ中で再会が叶いませんでしたが、ご自宅近くまで行ってみました。原発事故前は192世帯いた地域ですが、避難解除になって帰還されたお宅は僅か2世帯のみで夜間は特に淋しい雰囲気だろうなあと感じました。

バリケードで封鎖された地域を車窓から眺めながら桜の名所「夜ノ森」桜並木に行きました。全長2.5キロのうち2.2キロの区間が「帰還困難区域」として立ち入りが制限されてきましたが、今年4月6日、事故後初の特別な試みとして避難生活を続けている町民がバスの中から桜の咲く風景を懐かしく楽しんだそうです。

桜並木入り口の向かい側では子どもたちが通えなくなった富岡第二中学校のグランドにすすきが生い茂っていました。原発事故一年前の2010年4月、中学一年生の子どもたちはこの桜並木を通って入学式に向かった姿が想像されます。入学した翌年から避難生活を経験させられたその子どもたちも今は20代の大人になってしまいました。富岡町では北東部地域が今も帰還困難区域です。

◆大熊町:

帰還困難区域に一時的に出入りする人たちが並ぶスクリーニング場を道路わきに見ながら大熊町に向かいます。全町民11,505人が町外への避難を余儀なくされた大熊町は「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3つに区分されていましたが、町民の約96 %が居住していた地域が帰還困難区域となってしまいました。今年4月、大川原と中屋敷両地区の避難指示が解除されましたが帰還した町民はわずかです。 JR常磐線大野駅そばにあった町役場の庁舎は大川原地区に移転。5月に業務を開始した大熊町役場の新庁舎にも行ってみましたが、庁舎の前には復興公営住宅が建設中でした。実際に車から降りたのはここまでです。後は車内からの見学のみとなりました。

福島第一原発から5キロ圏内に入りました。車で通れる県道や国道の左右の脇道には「帰還困難区域」の看板とバリケードが続きます。帰還困難区域の中に自宅のある方は自宅にものを取りに行くにも許可証が必要で、時間も日中のみの制限が今も続いています。行程中は持参した線量計で車内の空間線量を測定していましたが、最大値は大熊町での毎時2.59マイクロシーベルト(μSv)でした。空間線量の高い地域を通った影響で頭痛がしたり、口の中や喉の粘膜に炎症が起きました。

移動中、窓から見えるのは生活の匂いを感じることが難しくなってしまった景色でした。人の住む家と住まない家はひと目でわかり、色彩の薄くなった風景の中で空き地にとめられた重機の人工的な色が浮かび上がります。避難が解除されて戻ってきても、かつてのような賑わいはなく、人の住まない家は雑草が伸び、子どもの姿もない暮らしに帰還した人々は淋しさを感じるのではないでしょうか。となり近所から自然に聞こえてくる物音や声、歩きながら目に入る手入れされた庭の花々、挨拶を交わす人の和、そういうものがあってこそ「人の暮らし」は成り立つものだと思います。

大熊町が今年3月に実施した「帰還意向アンケート」によると、戻りたいと考えている(将来的な希望を含む)14.3 % 、まだ判断がつかない28.4 % 、戻らないと決めている55.0 % 、無回答(不明)2.3 % という結果が出ています。様々な不安を抱える子育て世代がこういう町に帰還したくないと思うのも当然です。厳しい避難生活を終えてようやく帰ることが許された町はバリケードで仕切られる町に変貌し、2011年の原発事故の被害は今も形を変えて続いていました。

大熊町の中間貯蔵施設(保管場所)に県内の汚染土や特定廃棄物の搬入が開始されたのは2015年3月13日からです。現在、国は事故が起きた福島第一原発を囲む形で大熊町と双葉町に中間貯蔵施設を計画。受入・分別施設や土壌貯蔵施設などを建設中です。大きなクレーンが立ち並ぶ中間貯蔵施設の敷地とその先にある福島第一原発を眺めながら国道6号線を更に北上して双葉町から浪江町そして南相馬市小高区へと移動しました。

 

◇◇南相馬市小高区塚原「帰還者交流いも煮会」と法要:

12 : 20 第一原発から20キロ圏内の南相馬市小高区の塚原公会堂に到着。

帰還された地元のみなさんが催す「交流いも煮会」に参加させていただきました。午前中は曇っていた空がいつの間にかきれいな青空になり、会場に着いたときには夏のような明るい陽ざしです。区長の今野由喜さんや塚原のみなさんは笑顔で温かく迎えてくださり、手際よく盛り付けてくださったずんだのおはぎや豚汁、バーベキュー、おにぎり、焼きそばなどをお腹いっぱい御馳走になりました。

食後はあちこちのテーブルにまざって地元のみなさんと交流しました。「あの日地震が起きた後、大きな壁のように津波が向こうから押し寄せてくるのを見て本当に怖かった。しばらくはその時のトラウマが消えなかった」とお話ししてくださる方がいました。「あの日はちょうど中学校の卒業式が終わって帰宅した時だったので、子どもたちと一緒に高台まで避難して助かったんです」と話すお母さんもいました。「原発事故のせいで避難しろになったけど、福島県の津波の犠牲者のことはほとんど報道されなかった」と当時のことをふり返る方もおられました。

北海道から来たということで賑やかにお話が広がったころ、ふと空を見ると数えきれないくらいのトンボの大群が飛んでいます。「ここはいつもこんなふうにトンボが来るんですか」と地元の方に尋ねると「そんなことはないんだけど、これからお坊さんがお経をあげてくれるって聞いてるから、お参りにきたのかもしれないね」と答えてくださいました。みなさんと和やかに交流する風景の向こうには新しい防波堤で仕切られた海原が広がっていました。

塚原地区では2011年3月の大震災の津波で114世帯の6割が被災し、5歳の子どもさんを含む16名の尊い命が奪われています。この日は亡くなった方たちのご供養のために重点プロジェクトのみなさんが法要を行わせていただくことになっていました。交流の後、僧侶のみなさんは慰霊碑の前に集まって法要の打ち合わせです。

公会堂の隣に建てられた慰霊碑の前で6名の僧侶のみなさんが声を合わせてお経を唱える中、ひとりひとりがお線香を供え、参列者全員が心を合わせて祈る時間となりました。法要の間も無数のトンボたちは参列者の頭上の空を飛び回っていたのですが、不思議なことにお経が終わると同時にすっと公会堂の裏のほうへと消えていきました。塚原地区のみなさんには「なんだか心が洗われました」とこの法要をとても喜んでいただきました。

現地学習会でここを訪問させていただくことになったご縁を深く感じると共にお坊さんたちと一緒に活動していることの意味を教えられた気がします。最後に一行を代表して日笠部長(室蘭・本光寺住職)が温かく迎えてくださったみなさんに感謝のご挨拶をして塚原地区の訪問を終えました。

 

◇◇今野由喜さんのお話 :

塚原区長の今野さんは NPO法人つながっぺ南相馬の代表もされています。 NPO法人つながっぺ南相馬が運営する「陽だまりサロン~紅梅」に移動して今野さんのお話をお聞きしました。

都会生活や海外勤務が長かった現役時代を終え、故郷に帰ってきた今野さんご夫妻はご両親や長男さん一家と四世代で暮らしていました。2011年3月11日に東日本大震災が起きて、津波がくる前の小一時間に家族を避難させた当時副区長の今野さんは、お役目として海側のお宅を自転車でまわって避難を呼びかけ、最後にご自分が車に乗って避難する途中で津波にのまれました。車の中も浸水して一時は意識を失いかけましたが、幸い消防団の方に発見され九死に一生をえて今野さんは助かりました。

高台の避難所でご家族と合流してからは、発電機など必要な物を集めたり、炊き出しをしたりして地区のみんなで力を合わせて避難所を機能させようとしました。3月11日当日の塚原地区は孤立していたため、医療支援が受けられなくて、なんとか避難所まで連れて来たのに夜に亡くなった方もいました。

翌3月12日、自衛隊の先遣隊がバイクで来てくれて、地区の高台から自衛隊のヘリコプターで住民のピストン輸送してもらいました。この日自衛隊の災害救助隊と協力して地域の行方不明者の捜索をしている最中にバーンというスプレー缶が爆発したような音が聞こえました。第一原発が爆発した音でした。下の息子さんから「第一原発が危ない !!」と連絡が入り、12日は南相馬市原町区のおばさんの家に避難移動しました。

13日朝、息子さんから「もっと遠くに逃げろ !!」と連絡が入り、飯館村、福島市、米沢市を経由して山形市まで家族みんなで避難しました。最初は車5台で出発しましたが雪がすごくて、夏タイヤだった車は途中で置いて最終的に3台で避難しました。

山形市に家族を残して4月から南相馬市に単身で戻り、地元で情報収集をしながら支援活動に従事しました。災害 FM局が5月にスタートしましたが、一番情報を求めている鹿島などの仮設住宅には電波が届いていませんでした。仕事で培った技術力を生かして仮設の4つの集会所の屋根にアンテナを設置して電波が届くようになりました。こうして2011年の11月に任意団体として「つながっぺ南相馬」をスタートさせました。

小高区全住民、約12,800名の方々の避難生活は2018年7月まで続きました。しかし、警戒区域指定解除後も帰還されたのは3,500名あまり、塚原では114あった世帯数が今は37世帯です。また、三世代、四世代で暮らす家の多かった地区ですが、高齢の方々は生まれ育った土地に帰ることを望み、若い世代は子どものために安心できる場所での暮らしを選ぶといった世帯分離も多く起きています。

帰還が始まってもそれまで多くの住民が生業としていた米作りはまだ再開されていません。先日発表された計画は、小高区の米作り再開まであと4年かかるというものでした。元の暮らしが成り立たない中で避難指示が解除されていったことへの疑問を感じますし、多くの方が故郷に戻ることを選べない理由にもなっています。子どもの数も大きく減り、元は地区内に4校あった小学校を1校に統合しても現在は在校生が60名に満たず、さらに新入生が少ないため、結果として児童数が減り続けている状況です。

今野さんは、「日々の生活の中では、原発のことはとりあえず心の奥に沈め、暮らしを維持してゆくこと、今日より少しいい明日を作ること、地域の賑わいを取り戻すことを考えるようにしていますが」と前置きをして、次のようにお話をまとめてくださいました。

「海と生きる者の宿命として、自分たちは日頃から津波を意識していたにも関わらず、その意識を超える津波が来た。それを経験して言えることは、あのように孤立しても、その場にいる人々が協力して、最低2日間は自分たちだけで乗り切る心構え、備えをしておくこと。ああいう状況では、役場の職員にも病院の職員にも家族があり、警察も消防も被災するということを覚えておかなくてはならない。」

「どんな大切な『もの』も、自分の命とは交換できない。現金、通帳のような普段は貴重品と言われるものも、自分の命と交換はできないのだから、助かるはずの命を失ってはならない。」

「原発が安全か、安全でないかということについて、専門家たちの見解が一致していない。事故後、それぞれの学者がそれぞれ勝手な意見を言いに来た。被災者である自分たちに言わせれば、あれは売名行為だ。こういう議論は学会の中で決着をつけてもらいたい。素人の我々をいたずらに惑わせるようなことはしないでほしい。」

「政府も、東電も、学者も、『原発は安全』と何十年も言い続けてきた。しかし、2011年の震災でそれが覆され、多くの尊いいのちが奪われ、多くの方々が震災から9年目を迎える今も避難先から故郷に戻れずにいる。交通事故でも、泥棒でも、罪を犯した者には罰が課せられるのに、国が関わったこの大事故については、誰一人過ちを認めず、誰一人罰を受けず、誰も責任を取ろうとしない。何かがおかしくはないか。日本は法治国家なのか。」

「自分は技術者としてこう考えている。技術としての側面から見た原子力発電は、まだ完成していない技術を使った産業である。製品というのは、材料が加工されて商品となり、使われ、使い終わったら廃棄される、そのサイクルができているものだ。その意味で、原発は完成された技術ではない。原発によって生まれる廃棄物の処理を後世に課題として残したままにし、自分たちの世代の繁栄を追求しているが、それは正しいことなのか。ここに原子力発電の大きな問題がある。自分たちの生活はそういう技術の上に成り立っているということを認識しなくてはならない。さらには汚染水の問題、安全に廃炉ができるのかという問題も残っている。」

今野さんは微笑みながらこのようにお話を締めくくりました。

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◇陽だまりサロン(NPO法人つながっぺ南相馬)南相馬市小高区本町1-18

http://www14.plala.or.jp/yamaki_farm/index.html

◇ブログ『今日の南相馬市小高区』

https://blog.goo.ne.jp/konno_y/e/8ff4ae2e0ca585ac61ec0c0b1ccf82f1

今野さんのお話は大変深い内容でした。津波にのみ込まれて奇跡的に助かった直後から地域の人たちのために頑張って来られた今野さんには本当に頭が下がります。「そのうちゆっくり北海道をひとり旅したい」と仰っていた今野さんの夢が実現することを願っております。お体くれぐれもご自愛ください。ありがとうございました。

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東京電力福島第一原発から10キロ圏内を巡り、20キロ圏内で暮らす方たちとの交流もさせていただきました。どなたにもかけがえのない人生があり、今この時を幸せに生きる権利があります。私たちは何を大切にして生きるべきなのでしょうか。そういうことを考えさせられる現地学習会でした。お世話になったみなさまに深く感謝を申し上げます。

(報告) みかみめぐる、米永明恵

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